新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

困ったような顔で笑っていた彼に捧げる

ここ数日湿っぽいですね自分。



友達が亡くなったんです。自殺でした。

話を聞いたときには「何故」の二文字がひたすらに先行して、素直に彼を思うことなんてできなかった。正直今でもそういう気持ちはある。



でも、くしゃっとした笑顔で皆と気さくに接していた彼のためにも、このあたりでなにかしらの結論を出して前に進む必要があると思うので書こうと思います。

いろいろと考えたけど、やっぱり僕には書いて整理することしかできない。



死を選んだ彼のことを、僕は卒業してからどれだけ意識に残していたのか。ひろむの日記にもあった「日常からの忘却による残酷な抹殺」という観念と同じものを僕は確実に持っていた。時々不安定な日記を書いていた彼にも反応することができなかった自分を考えると、つくずくそういうものを感じる。



しかしそんな自分が、彼に送る最後の言葉を親族の方から直接依頼された。正直な話、戸惑いのほうが大きかった。去年無くなった山下先生への言葉ならいくらでも送ることができただろう。僕は先生との深い時間を多く共有していたし、その想いも胸から溢れんばかりだったから。

だが、彼に友人を代表して言葉を送るのが、こんな自分でいいものなのか、彼の死を本当に悼む資格が自分にあるのか。そういう葛藤が胸の中にあった。しかし時間はひたすらに過ぎ、僕は喪服を着て式場へむかった。



お通夜の式では同じクラスの僕の親友が言葉を述べた。

親友は立派に別れの言葉を捧げ、会食にも最後まで残り、「親御さんの本当に深い悲しみを察すると、言葉を読む自分が簡単に泣くことはできない」と言っていた。

皆が通夜式から引き上げた後、勧められたこともあり、最後まで残っていた友人数名と棺の中にビールを注ぎ、献杯した。彼の顔はとても美しく、今にも目を覚まして起き上がるのではないかと思った。



生前の彼は野球が好きで、高校で野球部に所属していた僕にいろいろなことを聞いてくれたし、大会で勝ったときにはその日のうちに、すぐにメールをくれた。そんな思い出が蘇る。そんな彼が棺の中で、野球帽やメジャーリーグ名鑑とともに眠っていた。どんな関係にあったにせよ、生者は死者との関係をひたすらに偲ぶしかないし、それが縁あって最後の言葉をかけることになった自分の責務だと、思った。

僕は思いのたけを便箋に書き綴った。



翌日の告別式は、通夜と比べると少数の参加だった。

言葉を告げたのはほんの数分だったかもしれないが、僕には非常に長く感じられた。ゆっくりと読もうと思った言葉も、つい言葉が上ずったりした。



彼が好きだったというくるりやサザンが流れる中、花が棺に添えられ、蓋が閉じられ、彼はゆっくりと斎場へと向かっていった。本当に彼が死んでしまった、と思えたのは、彼が霊柩車に乗せられてからだ。それまでは、生きている彼と一緒にいて、語りかけていたような気でいた。



人が人に共感することができる能力というのは、人の奇跡であると同時に制限もある。その人とどれだけ多くの時間を過ごしたのか、どれだけ深い時間を共有したのか。それによって簡単に左右されてしまうものだからこそ、例えば葬儀において本当に、本当に深く心から死を悼むことができるのは親族や親友のみなのかもしれない。

この共感力の制限というのは、その人の感性や意識によって拡大したりすることは出来るにせよ、やはり限界というものがあり、あらゆる人の為せる業の根底に流れるジレンマ、逃れられない人の業のようなものなのかもしれない。ニュータイプなんて理想、幻想に過ぎない。



でも、人と永遠に別れることになってしまった時にはただ、故人が残した思い出、記憶をかみ締めるべきなのではないだろうか。死によってその人が心の中で生き続ける、という現実は確かに非情だ。だがそれは大切なことだ。



本当に偶然に、別れの言葉をよむ機会を得たことにより、最後の最後に彼との距離を縮めることになった僕がこのようなことを言うのは本当に傲慢でおこがましいことなのかもしれない。

しかしそういう人のジレンマや業を飲み干し、飲み下した上で、彼の死に向き合い、彼がやすらかに眠れるよう祈りたいと思う。



髪を黒く染めなおしネクタイを締め、本当の意味で大人のスタートラインへの階段を上る直前に同世代の仲間を失ってしまった。ただ僕たちにできることは、彼の命を心に吸って、生き続けるだけだ。