遠く離れてるほどに近くに感じてる
今日はスクールデイズ見終わって誠氏ねって呟いたり、内定者テキスト読んでマーケティングマインドを高めようとしたけど断念して昼過ぎに地元のラーメン屋にいったり、ゼミのまとめやったり、筋トレとランニングして自分の体力の低下を感じたり、ポケモン育てまくったりした。
要するにばっちりこもっていたwww
こもっている以上今日のことについてさしたる内容はないので、先日の授業の感想でも書くことにする。
「環境と生物」っていう一般教養で、基本的に出席だけして読書の時間にあててしまっている授業なのだが、たまたま聞いていた人類の祖先の話がおもしろかった。
僕たちは生物学的にサル目ヒト科の「ヒト」であり、学名は「ホモ・サピエンス」というが、メンドクサイので文中では「ホモ」と略すことにする。
ホモの歴史をさかのぼると、20万年前のミトコンドリア・イヴにたどり着く。しばらくはホモたちはアフリカで暮らしていればよかったのだが、気候の変動で4万年ほど前から北上を余儀なくされることになる。
しかし当時のヨーロッパには圧倒的な数のネアンデルタール人が先客として住んでいた。
ネアンデルタール人はホモとは進化前に分岐してしまった別の種族のヒトであり、ホモの侵攻に伴い対立がおこったと見られている。
ホモVSネアンデルタール人、歴史の影に埋もれた戦いが静かに勃発。
が、現代に僕たちが生き残っている以上、勝敗は明らかだ。
では当時数的に不利だったといわれているホモの勝因はなんだったのか。
ネアンデルタール人はホモにとって強敵だった。
まず体格。
骨格から推定される平均身長は160〜70センチ、体重は80キロ以上、大きな鼻腔を持つなど、当時寒期の多かったヨーロッパを生き抜くのに適した体格の持ち主だったと思われる。また、上半身を中心とした筋肉の発達が見られ、あらゆるスペックがホモを遥かに上回っていたようだ。
次に食生活。
マンモスなどの巨獣を仕留める計画性と勇敢さを併せ持っていた上、魚介類も食べていた痕跡が見られる。また、武器として、生活用としてなど様々な種類の手の込んだ石器も発見されている。
そして精神性。
埋葬の習慣や簡単な儀礼の痕跡、通常長生きできない損傷を受けているものの、助け合いにより生き続けたと見られる人骨も発見されており、決して野蛮さに特化した種族ではなかったようだ。
では、何がホモとネアンデルタール人の決定的な差だったのか??
文化の共有にあった、という有力説がある。
ホモの住んでいた痕跡のある洞窟には巨大な壁画があったり、動物や女性をかたどった彫刻、楽器などが数多く発掘されている。
さらに、距離の離れた集落間でも似たような形の芸術品が出土している。
これは各集落に文化の交流があり、協力関係があったからと見られている。また各集落の位置関係も比較的行き来しやすい場所だったとか。
ネアンデルタール人の遺跡からはそれぞれ固有の芸術品があるものの、文化的交流や協力関係のあった痕跡は発見されていない。それぞれの集落も離れ離れであったと考えられる。
これだけの説で決めるのはなんだが、僕たちの祖先が別の種族に勝つことができた理由は、「文化交流による価値観の共有」にあったようだ。
今日も、僕たちは多くの文化を共有することにより深い関係を築いている。
音楽、絵画、スポーツ、娯楽、学術etc、様々な要素が僕たちを繋いでいる。
国立博物館の厚いガラスの中にある由緒ある展示物も、銀座のショーケースの中の絢爛な洋服も、中野ブロードウェイのまんだらけに雑然と並べられたホビー各種も、それぞれ人間の感情がこもったものだ。
いわば僕らの衣食住の最低限の基本要素から少しでもそれた工夫のされたものは、文化性を少なからず持っていると思う。
そして、現代ではその文化性が多様化する一方で、みんなが必ず好きなものとか、みんなが絶対感動できるもの、いわば統一的な価値観が見つかりにくくなっている。
時に、自分の大切にしているものが、他の人から見ればゴミ同然に見られることもあるかもしれない。そういった「大切にしているもの」への共感が得られないことから生まれる様々なすれ違いが、どこかで無用な涙を流させている、そんな風に感じる時がある。
根本的なところに帰れば、どんな文化も、一つの発見から生まれている。
「あ、あれが楽しい」
とか
「これって、すごい」
とか発見者に色々な感情が生まれ、それが表現されるようになる。そこに他人の共感が発生することで一層系統化が進んでいく。
よって、生まれ出ている文化に無用なもの、拒絶すべきものは同じホモ・サピエンスの間に本質的にはないと思う。
だがそのように深く考え込む前に、生理的な拒絶が起きてその文化との接触機会を失ってしまうことはあまりに多い。
もっと許せないのだろうか、色々な感動を。
もっと知ることが出来ないだろうか、様々な価値観を。
なんの解決の光も差さない、あくまで願望を伴った呟きでしかないけれど、人類の歴史の授業を聞きながらそんな風に考えていた。
ヤック・デカルチャー。