フラッシュバックとどMの幸せ
みなさん今年を振り返っているので、便乗させていただきます。
今年を漢字一文字で表すならば、「変」。
もちろんこれには僕をとりまく環境が変わったとか、小泉内閣が安倍内閣になったとか、僕が変態だとかいろんな意味がこめられているわけだが、この中では最初にとりあげられた出来事が一番おおきかったということは言うまでもない。
まず、受験が。目の前につるされたにんじんを追い続ける作業は、肉体的な苦痛を伴うものでもなかったため、それほどきついものでもなかった。ときにはそこに倒錯的な快楽すらあった。
まあ、結果は散々だったが、とりあえず大学にヘッドスライディングすることはできた。
そして、6年間の閉鎖的自己満足ど変態養成機関からの旅立ちは、僕に色のある世界を教えてくれた。
しかしそれと同時に、今までくだらないと思って学んできたことが実はいかに有用であったか、そしていままでに環境がいかに暖かかったかを身をもって体感した。
新しい世界でのいろいろな人々との出会い、大学生という身分になってから得た大量な時間は、高校生活のギスギスのライフスタイルからは想像もできない量であり、それを生かしきれなかったのは確か。でもまあ過ぎたことをに地団駄ふんでもなにも起こらないので、今までの時間は
チャージ
だったとそう割り切ることにしませう。チャージ期間に得た休息、環境を糧に、来年はなにかやらかしてみたいもんです。
次、自己分析。
高校時代から僕の処世術は「六四外交」
みうらじゅんの言葉に六四外交というものがあった気がする。どんな人でも一歩引いてよく見てみると100パーセントキライなヤツっていうのはそうそういるもんじゃない。見た結果六キライなところがあっても四好きなところ、いいところがあれば付き合ってみようっていう意味で、僕はこの言葉が大好き。
まあそんなかでも8以上好きなところがある奴と僕は比較的よく遊ぶけど、4くらいでも、場合によっては2くらいでも一緒に遊べば楽しいヤツ、人間的に魅力があるやつはいくらでもいる。
その過程で僕は、色を他の人に合わせることが好き。カメレオンのように擬態することで、その人とよりいい関係が築けるならば、擬態は苦痛ではなく、幸せに変わる。そのうちに擬態が本当の自分になり、自分像は比較的あいまいになっていく。
しかし僕はそんな自分像を確立する上で一つのHOME的なコミュニティ(高校時代は野球部、今はFB)を心の拠り所にしているため、まあ自分の色を自在に生かしたり殺したりできる。
要するに
これこそどMの真骨頂。こんな風にして僕は生きている。
心の底からMwww
しかし、高校時代、全ての能力、人間性が神なある男から、こういわれたことがある
「やすの武器は敵を作らないことだが、それは同時にやすの魅力を殺すことでもあるから気をつけたほうがいい」
ぐさっ!!この言葉はどうにも忘れられない。
まあいいや。それでも僕はたくさんの人となかよくなりたい。
多くの友人、再会した人、今年出会えた多くの人、来年出会うであろう多くの人、なんだかんだいって、人はいとしい存在です。
君と出会った奇跡が
この胸にあふれてる
きっと今は自由に
空もとべるはず
さあ、その向こうにいこう。
よいお年を。