新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

早稲田と慶應



久しぶりに覗いたらコメントがたくさん!!

と思ったら大半が某友人によるものだったW

今日はセンターリサーチを受け取りに行った。

皆様悲喜こもごものようでございまして、センター利用でない自分は少し場違いな気がしつつもちゃっかり成績を貰いにいきました。

そして午後は一橋学院で慶応大学予想テスト!!

でした。あきらかに過去問より簡単だった…ここ数年で慶応の英語が鬼レベルになりつつあるので心配だ。

というより、過去問や受験形式を見てるうちに段々大学のとりたい人間のタイプが見えてきたような気がしてきた。

慶応が受験生に何より求めるのが論理性があり対話のできる学生のようだ。

小論で求められるのは、まず問題文がどれだけ理解できているかを示す要約プラス自分の意見の論理的な説明。

そして英語で求められるのも論理性。特に長文の内容一致なんかそんな感じ。使用単語をオタクなものにすることで、英文を段落ごとにうまくまとめて全体の意味をとる力が重要になってくる。

そして文中の難しい選択肢をよく読み(試験官との対話)、理由付けた上で内容一致を行う。

やたら会話文が出るのも、会話の整合判定には常に論理的な整合が関わってくるからだと思う。

日本史はその限りではないけれど、試験の配点を見れば英語重視は明らか。

また学部で見ても純粋に文系科目のみで公平に受けられるのは法学部と文学部のみ。商学部の論文テストはもはや数学だし、数学選択者をたくさん合格させる。

経済学部にも同様のことが言える。

このように大学側が冷静にものごとを判断できる優秀な学生を集めることを意識した試験が功を奏しているのか、慶応OBは社会的にはかなりの活躍を見せているのは確か。さすがは福沢諭吉が経済や商などの実学のために作った大学だけある。

また一方で、大学図鑑(ダイヤモンド社の、ズバズバと大学評を述べる本)などでわかるように、ものごとをはかりにかけて考える冷静な利己主義者とやっかまれたりするのもそこに所以があるのかもしれない。その判断力が日本の経済界を支えているのかもしれないが。

一方で早稲田で求められるのは知識力と感性のような気がする。もちろん問題文がよみこめる→対話力がある学生が求められるのは慶応と同じだが、問題傾向には若干違いが見える。

まず国語。早稲田の国語は日本の私大でトップレベルの難しさを誇ると言っても過言ではないと思う。そこで問われるのは古文漢文故事に関する知識から文学史までの様々な知識と、一筋縄ではいかない難解な現代文。論理的に紐とかなくてはならない点では慶応と似ているが、あるレベルに達する問いに関しては、もはやその人の国語経験から成る勘の領域に近付いていく。実は難問奇問に見えてその人の素養が問われるのが早稲田の国語なのかもしれない。過去問の本により答が変わってきてしまうレベルだ。

そして日本史。これに関しては、個人的な感想を述べると慶応を遥かに超える驚異だ。慶応でも奇問珍問悪問は出るが、早稲田は慶応のその比率を凌駕する。どれだけ知識があるかを聞くわけだが、用語集頻度0の単語を連発されるとほとんどの受験生にはある程度の限界がくる。

英語は慶応と比べて簡単な感じがする。慶応よりボーダーラインが高いのは苦しいが、出る単語のレベルも異様なものではないし、文章の内容も比較的掴みやすいものが多い。

全体の配点も、どの学部も、3科目をまんべんなく取ることを求める感じの配点になっている。また、どの学部も数学選択はあるが、募集人数などにおいて文系科目選択者と割と公平な条件で合格者をとる。

よって早稲田は国語で決まるという話が最近正しく思えてきたわけだ。

実際早稲田の文学は東大とは違うにしても日本の文学を背負ってきたわけだし、政治家といえば早稲田OBが多い。またペンを武器に世論の感情に訴えかけるマスコミにも早稲田OBはたくさんいるようだ。

世間的な早稲田イメージは、大学図鑑によるなら「本当のバカではないけどバカになって楽しむ人情家」

といったところか。

世間では、「今の時代は東大を狙う中高一貫の生徒が愛校心もなく早稲田慶応と受けるから、大学のカラーが失われつつある」と歎くけれど、大学側の入試がどんな学生をとりたいかを反映したものであり続ける限り、合格する学生の素質は大学のカラーに近いものになるのではないかと思うのだが…

僕はどっちに行くんでしょうか…それとも…いや、なんとしても行くのだ…