新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを

合宿から帰った僕が目にしたものはうすっぺらい成績表だった。

やっぱ民法チャイ語のかたっぽはFってた。通年科目の6単位を損失。

でも前期に「キミには単位あげられない」と教授に言われた憲法は後期の巻き返しのおかげでCがきた。

あとは般教系は全部B、バドミントンがAだったwww

ちなみに完全に履修ミスをしたらしく、般教を必要より6単位多く取得していたが、過剰分はは卒業単位にはならない。

その分学科科目はほとんどとらなかったため、残り単位が全然減らなかった・・・合計は39単位、GPAは2.4だった。

まあしらん!!自由にやってやるさ。







そもそも大学で成績だけよくて何になる。

己の利益が最大限になるように効率のいい利己的な人生を送るのは難しいようで簡単だと思う。

もちろん誰でもその姿勢は必要だ。それが今の僕には足りない。理想が自分の具体的な未来予想図に向けられていない。



大学生というモラトリアムで、もっと他人を感じたい、他人ともっと繋がりたいというのが僕の今の理想、夢だ。



野球、新聞サークル、バイト、高校時代や大学の友達など、たくさんのコミュニティの人々と同じ時代に、利害関係なしで接することができるというのは大学生の特権だ。



人は石垣、人は城とはよくいったもので、重い石をたくさん重ねて堅牢な石垣を築くのがとても大変なように、人間一人一人の個性にも重みがあり、それらをぴったりとあわせて石垣を築くのは並大抵の苦労ではない。

だがそれがうまくかみ合わさった時、人脈というその石垣は難攻不落の名城を守るに値するものになるだろう。



石垣を築く上で必要なのは忍耐だ。個性という石の重みを背負うには時に多大な犠牲を払う。それらをうまく積み重ねるのにも負担がかかる。自分の気持ちの余裕もプライベートも失う時があるかもしれない。でも

「情けは人のためならず」

の通り、コミュニティに、人に尽くしていけばなんらかの形で僕にとっての明るい未来が見えてくるような気がするのだ。そのためには僕の心も体も多少削られてもかまわない。むしろどMの僕としては本望ですらある。

人間を感じるには身近な他人の具体的なケースから、世の中の一般的な人のケース、小説や映画、音楽で語られる人間の物語や本質のカケラたち、もしくは街の雑踏や異端な分野なものまでたくさんのものを知って考えることが第一歩のような気がする。そういう自由度の高い作業をする時間があるのも学生という身分であることの幸福だ。



まあそんなこんなで人をつなぐというのは人にとって永遠のテーマだと思うが、これからももっと他人を感じ、多くの他人と繋がることのできる人間になれるように自分を磨いていきたいと思う。



それと同時に自分の将来を少しずつ明確にしなくてはいけない時期にさしかかっているというのも事実だ。人生は早い。でもおもしろい。



華麗なる一族に出てきた宿命の確執でさえも、結局は人間の思い込みが作り上げたものだった。思い込み一つできっと未来も明るい方向にもっていけるさ。きっと。



頭が悪いそれは生まれつき

努力が嫌いそれが運の尽き

パッパラパーのままじゃ生きられねえ

涙ぽろり