谷間学
谷間とは男の夢の終着点である。
ある男が「世界を平和にするにはみんなで鶏肉を食べればいい」
と言った。
その男曰く、鶏肉食べる→胸が大きくなる→みんな幸せ→戦争のない平和な世界
という流れが発生するらしいのだが、そんなパイオツ原理主義者の主張を差し置いても、谷間が男にとって永遠の魅力であることは変わりない。
所詮何を言おうと男は女の魅力に敵わないし、愛を与えることで存在を認めてもらい幸せを得ることしか出来ない存在に違いないとだれか有名なミュージシャンが言っていたような気がする。
今回はそんな谷間について思うがままにつらつらと書いてみようと思う。
谷間が最も人の目に晒され美しく輝く瞬間、それは普段お目にかかれないそのままの姿がそのまま見られる、つまり裸に近い空間でいられる場所、簡潔に言うならビーチサイドやプールなどである。
先日福島のハワイアンズで見てきた水着のお姉さんたち。彼女たちの姿は普段の1.8倍の根性補正がかかり、非常に魅力的に僕の目に映った。
特筆すべきはとにもかくにも谷間。
都会で悶々と毎日を送っている限りではそうそうお目にかかれない谷間のパラダイス。真っ直ぐ前を向いても谷間。右を向いても左を向いても谷間。振り返っても谷間。
しかもそれはプール、もしくは海岸において合法であり、むしろ彼女たちは弾ける若さを象徴するそれを咲き誇らせているようにすら見える。
さらにその中でも群を抜いて美しい谷間とエンカウントしたとき僕たちは感嘆の息を漏らさずにはいられない。
「オオ、フジヤマ・・・」
と。
もしそのうちのいくつかにパッド・タニマ、もしくはシリコン・バレーがあり、それに気づいてしまったとしても、僕らは心の中で喝采を博し続けるだろう。
「並々ならぬその御尽力、しかとこの目に焼き付けておきまする・・・」と。
まあこのようなプールや海岸に於いての谷間は、非日常の空間でのあり方であり、国語的に言うならばいわゆる「ハレ」の空間におけるものである。
わかりやすく言うならばおっぱいフェスティバル、地上の楽園である。
だが年がら年中、世界中がフェスティバルで楽園でアガペーアガペーなわけではない。
僕たちはハワイアンズから帰ってくると否応なしに都会、もしくは日常的な空間での閉塞感に満ちたルーチンチンワークを余儀なくされる。いわゆる日常、「ケ」の状態にある空間への帰還である。
だが時に「ケ」の空間にさえ一筋の救いの光は雲間から差す時がある。
それがいわゆる「ムネチラ」である。
パンチラやムネチラに拘泥するフライデー的な思考、嗜好は下衆いと感じるときもある。時に嫌悪感すら覚えるときもある。だがしかし、冷静に考えてみるならば「ケ」の空間においてはこれほどの恵みはないのである。
ムネチラにもいくつかある。
まず、本人が全くそういうケースを想定に入れていない状況、服装でのムネチラ。これが一般的に考えるならば多数派、マジョリティである。
ケースその1、食堂にて
8月も終わりを告げた初秋、スーツに身を包み、学食にカッカッと小気味良い靴音を鳴らし入ってきたのは、肩ほどの髪を後ろに束ね、黒の鞄を持った女性。この時期にスーツとはインターンだろうか、何かのバイトだろうか。外は未だセミが鳴くほどの残暑が続いている。
若干息が上がったまま、冷房が効いた食堂に入ってきた彼女は、机を挟んで僕の向かい側に鞄を置き場所をとった。
彼女はほっとした表情で静かに上着を脱いで椅子にかけ、白いシャツ姿になる。そしてその椅子を引き、ゆっくりと腰掛け・・・
廃人「オオ、タッシーロ・・・」
いやー、水色って、いいですねえ
その人にまったくそういう予感を感じないときに、突如訪れる至福の時がある。いや、それが至福を感じるまでに過ぎ去ってしまう儚さであることを考えると、目の前を突如、美しき彗星が流れ落ちる如き瞬間とでも言おうか。
なんにせよこのケースの場合、食堂と言う日常空間に突如展開されたフェスティバールな非日常空間だったからこそ、その谷間はより一層僕に感銘を与えたのだ。
このように日常の中に常に非日常空間の可能性を宿す女性という存在に尊敬の念、いや畏怖すら覚える。
ケース2、新宿駅にて
駅のホームを歩く茶髪ロングのビッチのけしからん胸元が激しく自己主張。
「あなたとは違う」
このケースに関してはあまりいただけないのだが、見えてしまうことも想定している、もしくは積極的に見せていこうとするファッションにより顕現する谷間である。この場合はどちらかというと魅力より焦り、驚きを感じざるをえない。まず、こういう公共の場で堂々とこんなに出しちゃっていいの??いいのかよ?という焦り。いわゆる、目のやり場に困るという状態である。
しかしその状況に一定時間置かれると、しょうもない脳内下半身生物である男はこうも考え始める。
「こんなに堂々と見える状態にあるなら、見なきゃ損じゃね」
そしてチラ見の方向にはしるのである。目のやり場の困る前に即刻チラ見モードに切り替える輩もいるにはいるが、僕のケースはこんなものである。
しかも男の目を奪う、という目的は達成しているわけだから(着ている女自身にとってどうでもいい男がひっかかっているにせよ)エロカワな服を着て街を闊歩する女の目的は半ば達成されているといえよう。
小悪魔ってレベルじゃねーぞ!!と叫びたくなるような服を着て街を歩くエロカワな量産型倖田軍団が、気温が高い時期はたくさん発生するのだが、彼女たちはもはや日常がモロ出しの屈強なマサイ族やアマゾネスのように見えてしまって、ドキドキも、ワクワクさんも、ゴロリも、とにかく可能性を感じない。
やはり非日常は内包されていなければ、効果は得られないのである。
廃人「もうさー、モザイクのあるDVDはry」
まさに外道