4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
今日読んだ本の話をしよう。
今日学校の図書館で村上春樹の「カンガルー日和」という短篇集を借りた。この短篇集には高一の国語教科書に掲載されていた「鏡」という作品がおさめられているので目を通したことのある人もいるかもしれない。その中の話のひとつ(今日のタイトルに書いた名前の作品)が少し心にしんみりしたので軽く紹介したい。
昔々、あるところに18歳の少年と16歳の少女がいた。お互いルックスが飛び抜けているわけでもない、平凡な少年少女だ。
ある日二人は街角で偶然巡り会う。
「驚いたな、僕はずっと君を探してたんだよ。信じてくれないかもしれないけど、君は僕にとって100パーセントの女の子なんだよ」
「あなたこそ私にとって100パーセントの男の子なのよ。何から何まで私の想像したとおり。まるで夢みたいだわ」
それから二人は恋人となり、孤独ではなくなる。100パーセント相手を求め、100パーセント相手から求められるということは、なんて素晴らしいのだろう。
しかし二人の心をわずかな疑念が横切る。こんな簡単に夢が実現してしまってよいのだろうか、と。
会話が途切れたとき、少年はこう言った。
「もう一度だけ試してみよう。もし僕らが本当に100パーセントの恋人なら、いつか必ず巡り会えるに違いない。そして次に巡り会った時、やっぱりお互いが100パーセントのだったなら、そこですぐに結婚しよう」と。
「いいわ」少女は言った。そして二人は別れた
しかし本当のことを言うと、彼らは試す必要もなく正真正銘の100パーセントの恋人同士だった。
ある年の冬、悪性のインフルエンザが大流行し、二人は生死の境をさ迷った末、昔の記憶をすっかり無くしてしまった。
しかし二人は賢明で我慢強い少年少女だったから、再び新しい知識や感情を身につけ、社会復帰することができた。そしてやがて75パーセントの恋愛や、85パーセントの恋愛を経験するようになった。
そのように少年は32歳に、少女は30歳になった。時間はあっという間に過ぎていった…
そして4月のある晴れた朝、二人は再び擦れ違う。失われた記憶のかすかな光が二人
の心を一瞬照らし出す。
彼女は僕にとって100パーセントの女の子なんだ。
彼は私にとって100パーセントの男の子なのよ…
しかし彼らの記憶の光はあまりに弱く、彼らの言葉は14年前ほど澄んではいない。二人は言葉も無く擦れ違い、そのまま人混みへ消えていった…
悲しい話だと思いませんか?
やっぱりプロの物語は違うよね(笑)余裕があって淡々としてるように見えて最後に余韻を残すオチがあるっていうかね
どうかな〜?このお話?ちょっと胸の奥が切なくならないかな?僕だけか汗
ちなみに多少要約したので原文とは異なりますm(__)m