伊集院静著『受け月』を読んで
もう八月になった。今日の昼ご飯は冷し中華で、デザートはスイカだった。
光陰矢のごとし。高校野球の東京予選も終わってしまった。
時間は淡々と流れていく。禁欲を掲げたものの、やはりそれは僕には不可能なこ
とだった。今日2時間で1冊一気に読み、楽しみが少ない、単調な生活に色を添え
るにはやはり読書が1番だと思った。
今日読んだのは伊集院静「受け月」
伊集院静…機関車先生といえばわかる人もいるだろうか。この人の書く文は、当
代の人気作家の書くそれとは一風変わっている。
井上靖や山本有三の書く文章に似ている気がする。その共通点とは…「時の流れ
と喪失」
人間は成長することで大切なものを獲得して行く一方、自分ではどうにもならな
い力により大切な物を少しづつ失っていく。
そんな中で、野球だけは変わらない。ルールも、その楽しさも、人生の中で普遍
的なものだ。ただプレーする人間だけが成長し、目まぐるしい変化を続ける。
野球という遊びは、そんな人間にとって、特に戦後の日本人にとって、押し付け
られたものでない、自分の心の底から生まれた信仰として輝き続けてきた。
この「受け月」には、長い人生で喪失を経験しながらも、野球を一つの支えとし
て心に抱えて生きる人々を描いた短篇が7篇おさめられている。
僕もすっかり野球を信仰の一つにしてしまった人間だから、とりつかれたように
読破してしまった。そして、まだ喪失したようなものは何も無いのだなと思った
。変な話だが、自分の若さと青さに気付かされた。
僕はまだ削りたての鉛筆だ。これから時の流れというナイフで荒々しく削られて
ちびていくんだろうけど、まあその時が来るまでは走り続けようと思う。この本
では喪失を抱えながらも人間は明るく生きていけるようになってるから。
失うものは何も無いっていう言葉が、いい意味で理解できた気がする。