童貞の童貞による童貞のための発想
更新滞っちゃってるなあ。なんか疲れることが多いんだよね最近。
大切なこととムダなこと両方で疲れてるっていうかね。
そんな時に何だけど、まあぼちぼち語りますか。
男なら誰でも(これははっきり言って男子校出身者に顕著に見られる傾向かもしれないが)下ネタというのが好きである。好きかどうかを超えて、オトコにとってもはやコミュニケーションツールの一環となってしまっていることは否めない。
下ネタはまず年齢、所属を問わず、オトコにとって共通の関心事であり、これをいかに鮮やかに語れるかどうかが、社会で上手くやっていく一つの秘訣ではないかと、今までの経験や父を見て思う気がする。
しかし、女の子、特にうちの大学の女の子には下ネタには生理的な嫌悪感をあらわにされることが多く、こいつを得意分野にしている僕は当然手足をもがれた蟹のごとく、おとなしく泡を吹き続けるしかない。
でもまあだからといって僕はこれから下ネタの開発を辞めて女子に媚びようとは思えないし、求道者としてのチャレンジ精神、フロンティア精神を失わないように戦い続けていこうと思っている。
さて、下ネタとはいえ僕は僕なりの美学に基づいて語ることを常に心がけている。
それは「インテリジェンスに裏打ちされた童貞の視点で物事を捉える」というものだ。
はっきり言って下ネタ語りで知性っていうのは結構あからさまに出る。
押すのか引くのか、正攻法でいくのか奇をてらうのか。
そこには一つの心理戦があり、知識の面や駆け引きの面など、様々な角度から相手を分析する。なんだかんだいってオトコ達はこんな作業を日々積み重ねているのではないかと、僕は経験上思っている。
下ネタの善し悪しの基準なんてどこにあるのだ、と問われればそれまでだが、まあそこは人によって大きく分かれくるところだろうと思う。
僕が語るならば、常に知識を吸収し、それを小出しにしていくことが語り手、聞き手ともに大切である、といったところか。
まずいやらしさ、しつこさの伴う下ネタはオトコが聞いたってムカつくし、嫌われる。いかに場の均衡を破るような新鮮味を出すか、それとも技で捻るか、はたまた原点に戻るのか。いやらしい、しつこい男にならないためには場の空気を読んだ適切な語りが必要だということである。
僕が目指すのはみうらじゅんのような語りである。彼は童貞をDTと呼び、DTの発想、思考を常に基調としつつも、自身の経験も交えて下ネタを語る。情熱と円熟が同居した魅力が彼にはある。
思うに、DTとは常に貪欲なのだ。もう日々下半身の衝動と一人戦い続けるしかない僕らは思考があさっての方向に傾きやすい、そういうことだろう。
それと同時に知識や、場の空気を感じ取る能力が合わさればもう完璧である。はっきり言って僕はどんなアブノーマルな書物も好きだ。危険な蛇について学んでも、蛇に飲まれてしまうとは限らない。学ぶことでかえって見えてくるものもあるのではないだろうか。
と信じてぶっちゃけここには載せられないような、世間的に公序良俗に反するとみなされるような本もかなり読んでしまったし、そういうサイトに出入りするのも好きだ。またいくことができるのならばフィールドワークも好きだ。
たとえば新宿の歌舞伎町交番裏のホテル街付近は街娼のたまり場になってしまっているのだが、そこにいる女の子達は今風の若い女の子ばかりだ。売るほうも売るほうだが買うほうも買うほうで、スーツ姿の男もいれば、パンパンのリュックのヒモをがちがちにしめたメガネの男も屯していることがある。
同じそういううしろめたいはずのことをしている人たちでも、目の輝き方はみんな違う。なかなか興味深いものだ。また大久保近辺で近寄ってくるアジアの女も皆十人十色。人間って本当におもしろい。
まあこんなことは単なる僕の趣味にすぎず、あまりオススメしないが、図書館や古本屋なんかにも「えっ!?」って思うようなエグい本は意外とあったりする。トリビアを広げるつもりで読んだら意外と面白いのではないだろうか。
ネットのブログなんかを見ていると世の中にはほんとうにとんでもなく頭のいい変態がいるなあ、と感心することばかりだが、僕もネットの海を泳ぎ続ける変態の一部ではないか、いやむしろそうでありたい、と思っている。もちろん人としての則は越えないけど。
とこんなことばかりやっていて女の子との駆け引きはさっぱり未開拓。
本当にバカ、自分。