新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

若人の叫び

今日はミクシィ日記に書いたとおり、たすくの妹の文化祭にいって女子大生のほうがいいかもという確信を得たわけです。



その帰り道、たすくと語り合いながら歩いたわけなんだけど、そこで就職の話とかについて熱く語った。



まず、就職にあたってどんな業種がいいのかという話。たすくは映画関係の仕事とか、娯楽に関わる仕事に就きたいんだけど、親には商社に入ったほうがいいと言われて葛藤していた。そこで、なぜ商社は一般的に儲かるイメージがあるのか、という議論になった。

僕の中では、日本史を勉強してきた観点から考えると、貿易っていうのは圧倒的に儲かるんだなというイメージがあった。やっぱり太古の昔からどんな行政体も貿易を巡ってずいぶん知恵をこらしたり、戦争までしてきたわけだから。

それはやっぱり今も同じで、島国である日本が今の経済を維持するためには貿易の力が不可欠なんだろう。食品の原材料も、資源も外国と相互扶助して初めて成り立っているわけなんだから、それに大きく寄与している商社が儲かるのは当然の話なんじゃないか、と思う。

思うに、やっぱり世の中の全体的なフレームを作っている仕事ほどなんだかんだいって稼ぎがよくなっているんじゃないか。

核にあるのはもちろん製造業や農業で、それが世の中を動かす原動力であることは、間違いないのだけど、原動力がよく稼動するためにはしっかりとしたフレームが必要であって、それが社会の法を司る法律家だったり、貿易のマネージメントする商社だったり、フィジカルな健康を保つための医者だったり、資金提供をする銀行だったり、極論行政である公務員だったり。

そういうフレームを維持している業種は、自然とおいしくなってきてしまうんではないだろうか?

あと、今面白そうだ、と思える仕事にも絶対マイナス面はあるし、ある程度は運命で人間の将来は動いてくんじゃないか、という話もした。





次に、どのような人間が「使える」人間なのかという議論。

僕はたすくはまず英語ができるし、他にもかじっている言語がたくさんあるし、空手や剣道はできるし楽器もできる、そんな総合的実用能力がある人間だと思ってるから、「たすくこそ就職で悩むようなことはない」的な話をしていた。

ようするに文系人間にとって能力はその一つ一つがコミュニケーションツールであるわけだから、そういうものがたくさんあったほうが「できる」人間じゃないかと思う。今はスペシャリスト志向とはいうけど、人間的にゼネラリストのほうがいいんじゃないかと思う。結局人と人とのつながりですべては動くんだし。

それを考えると僕のツールはゼロに近い気すらしてくる。語学も法学も圧倒的にできないし、野球は話ができるくらいで技術はさっぱりだし、人見知りするし、このままでは明らかに廃人をはるかに超えた廃人のまま。変な知識ばっかりいっぱい詰まっててもしょうがないし。

自分が社会悪であるかのようかに思えて今日も自己嫌悪に陥るのでした。